2015年04月30日
不本意な結果だと無視する
以前にバイト先の先輩に画数で占いを頼んだことがあります。もちろん趣味程度のものなので、断じて純粋なものとは差異があるのですが、とはいえ折しも占ってもらった我ながらかなり当たっているなと感じた覚えがあります。然るに直感的な印象ですが、易学全般というのは天意のマイナス要素だけを伝えるような気がします。近頃の占いは多角化しているので、テレビの占いだけではありません。六星占術などシンプルにチェックすることが出来るし、習慣的にその日の運を再確認してみると気分がよいですね。また占い自体に相談的な印象もあります。自らが心配している今後や健康運といったモノを占ってもらうことにより将来の為に一歩踏み出す力を得ることが出来ます。占いと聞いて感じるのは人生の応援歌だと私は思っています。万が一心配ごとがあり生活に戸惑ったときに占い師の意見を聞き、そこでどうすれば良い方向に変わるかといった指導や悩み相談と同様の意味もあるからです。ですから占い師に見抜いてもらうのはその後の日常を励ましであってほしいという印象です。不快なことばかりいう占い師も多いですが、術者としては粗雑だなとも思います。占いは女性に限って追求してるような風潮ですが、言い得て妙で私の母もテレビの占いコーナーなどを見ています。また無料でできる占いサイトなどで、姓名判断なんかを楽しんでいるみたいです。そして厚意的に私の運勢などもタダで診断できるサイトなどで、見ては教えてくれます。ただ少し迷惑なこともあって、あまり良くない結果の場合は敢えて教えてくれなくても構わないのにとも思うのでした。雑誌などにおまけ程度で載っている占いは、一般受けする結果だから宛にならないと分かっていても内容に一抹の不安があるものです。無論思わしい結果であれば愉しいですが、不本意な結果だと無視すると理解してもいつまでも精神的には、今日は思わしくないと憂鬱になってしまいます。他方で過去の記憶を辿ると格好が悪い思い出はありませんが…
Posted by kqgbqs at 22:24│Comments(0)